Profile

 
 

1957年12月13日 北海道夕張市に生まれる。

1964年4月 北海道夕張市立第二小学校に入学。

1969年 父親の転職により札幌市に移転。北海道札幌市立元町小学校に転入学。

1970年3月 北海道札幌市立元町小学校卒業。

1970年4月 北海道札幌市立明園中学校入学。

1972年 病気療養の為、国立札幌西病院に入院。それと同時に札幌市立山の手養護学校中等部に転入学。

1973年3月 札幌市立山の手養護学校中等部卒業。

1973年4月 北海高等学校入学。

1976年3月 北海高等学校卒業。

1976年4月 札幌大学外国語学部ロシア語学科入学。

1980年3月 札幌大学外国語学部ロシア語学科卒業。


1979年 札幌大学在学中に、株式会社ビーイング札幌連絡所としてプロモーション活動を開始する。[WHY](当時、織田哲郎、北島健二、長戸秀介が在籍)等を担当。


1980年2月 株式会社ビーイング入社。最初の所属はキングレコード/ビルボックスレーベル(当事、三原順子や、ボーカルを織田哲郎や氷室京介がやっていたスピニッヂ・パワーというバンドなどが所属)その後、バンド[MARIAH](清水靖晃-Sax.,Key.、笹路正徳-Key.、土方隆行-Gtr.、山木秀夫-Dr.、渡辺モリオ-Ba.、村川ジミ−聡-Vo.)のアシスタントマネージャーとなり、マネージメント事務所が違う山木秀夫を除くメンバーそれぞれのマネージメントも担当する。また、それぞれのプロデュースするレコード(阿川泰子、マリーン、亜蘭知子、秋本奈緒美、等)の制作リレーションブッキング、バンドレコード、メンバーソロの制作リレーションブッキングなどを担当する。


1981年 引き続き、株式会社ビーイングにて、[MARIAH]のマネージメント、制作リレーションブッキングを担当。

当時、初期のビーイングに於いて結成された[LOUDNESS]、[BOOWY]などの伝説的バンドの活動もサポート。

([BOOWY]の1stアルバムのサウンド・プロデューサーは[MARIAH]のベーシストであった渡辺モリオ。)


1983年 [MARIAH]と共にマライアプロジェクトとして株式会社ビーイングから独立。(引き続き、制作及びマネージメント業務)


1983年 マライアプロジェクトを株式会社イストミュージックと発展改名、会社設立。代表取締役就任。


1985年 [MARIAH]バンド活動停止により株式会社イストミュージック活動休止。


その後2ヶ月程、スターシップスタジオ(現在パワーハウススタジオ)に勤務。すぐに退社。

フリーのマネージメント、レコーディングディレクターとして活動開始。

清水三恵子(Vo.,Key.作詞、作曲、編曲)、YUKARIE(Sax.)、塚田のび太(Key.,Arr.,)等のアーティストのマネージメントを開始する。


1986年 バンド[JAGATARA]、バンド[松竹谷清&TOMATOS]のマネージメント、レコーディングディレクターを手掛る。


1987年 俳優[三上博史]の音楽制作及び、音楽面でのマネージャーを株式会社スタッフギャング(当時、久保田利伸や安全地帯等のコンサート制作をしていた会社)より依頼を受け開始する。


1988年 株式会社スタッフギャング入社。コンサートの制作も担当することとなる。

玉置浩二(安全地帯)ソロツアー「Koji Tamaki Miass Special Night」(北京公演、日本武道館を含む15公演)を担当。

アマゾンズ、富樫明生(MC A.T)のコンサート制作等もアシスト。
引き続き三上博史の音楽マネージャー、レコーディングディレクターを担当。

1989年 この年より楠瀬誠志郎のマネージメント及び、レコーディングディレクターを開始する。引き続き三上博史の音楽マネージメントと、レコーディングディレクターおよび、数名のレコーディングスタジオミュージシャン、ツアーサポートミュージシャン(YUKARIE(Sax)、村田陽一(Tb.)、西園まり(Gt.)、三浦憲和(Syn.)、等のマネージメントも手掛ける。


この後、担当するアーティスト楠瀬誠志郎「ほっとけないよ」と三上博史(本城裕二という役名で)「夢 With You」ともオリコン・ヒット・チャートにて週間最高位6位と3位を記録。


1993年 村田陽一に関してマネージメントに加え「SOLID BRASS」のレコーディングに於いてディレクターとしても活動。

楠瀬誠志郎に関してはマネージメント業務を退き、レコーディングディレクターとしての活動に移行する。


1994年2月 宮本亜門演出のオリジナルミュージカル・サイケ歌舞伎[月食]の音楽制作を担当。(音楽監督:ホッピー神山)


1994年5月 奈良東大寺境内における国際音楽イベント「あおによしG.M.E'94」The Great Music Experience(ボブ・ディラン、ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ、インネクセス[INXS]、ジョニ・ミッチェル、ライ・クーダー、チーフタンズ、マイケル・ケイメン、ジョージ・マーチン、ウェイン・ショーター、ロジャー・テイラー、キャラ・バトラー、ジム・ケルトナー、レイ・クーパー、エドワード・シェアマー、フィル・パルマー、ピノ・パラディー、ウィクス・ウィケンズ、劉宏軍(天平楽府)、レナード衛藤、布袋寅泰、X-JAPAN、YOSHIKI、玉置浩二、近藤等則、喜納昌吉等が参加)に、プロダクション・コーディネート、リハーサル・マネージャーとして参加する(全世界放映)。


1994年6月 株式会社スタッフギャング退社。


1994年8月 株式会社スタッフギャングからの依頼でフリーのディレクターとして楠瀬誠志郎のアルバムを制作。


1995年1月 株式会社パブリック・イメージ(当時、LINDBERGやZIGGYや田村直美(PEARL)等が所属していたプロダクション音楽制作会社)に入社。


1995年4月 株式会社パブリック・イメージ制作部チーフ就任。


1998年7月 株式会社パブリック・イメージ制作部部長就任。


1999年11月 株式会社アンダーグラウンド・リベレーション・フォース(セガ・サミー・グループのレコード会社)取締役兼任。


2001年2月 株式会社アンダーグラウンド・リベレーション・フォース取締役退任。


2003年 引続き、株式会社パブリック・イメージ制作部部長をつとめる。


2004年4月 株式会社パブリック・イメージが社名変更。株式会社ネクスターコーポレーション(アンリミテッド・グループ)となる。組織変更により、制作運営部長に就任。


2004年10月 株式会社ネクスターコーポレーション退社。新会社設立の準備に入る。


2005年8月 株式会社イスト・プロデュース・アンド・コーディネート設立。


2008年6月 株式会社ニッポン放送内にて任天堂DSソフト「大合奏!バンドブラザーズDX」事務局運営、事務局長業務を兼務スタート。


7月 株式会社イスト・プロデュース・アンド・コーディネートの自社レーベルistpacレーベルより17年前の幻のレゲエ・セッションとして伝説化されていた「1991 TOKYO × JAMAICA SUMMIT / TIME IS NOW」(吉田美奈子プロデュース、スライ&ロビー、マイケル・ローズ、清水靖晃等が参加)をリリース。


2010年5月 引き続き、株式会社イスト・プロデュース・アンド・コーディネートの運営及び、ニッポン放送内での任天堂DS「大合奏!バンドブラザーズDX」事務局の運営、事務局長業務を兼務。(任天堂DS「大合奏!バンドブラザーズDX」が「Jam with The Band」のタイトルでヨーロッパでもリリースされることとなり一部そのサポート業務も兼務。)


6月 2008年より断続的にはじめていた音楽プロデューサー月光恵亮氏の音楽制作業務に関して、あらためて正式に制作管理業務を継続的に関わることとなる。(2012年9月業務提携終了)


2013年6月 引き続き、株式会社イスト・プロデュース・アンド・コーディネートの運営及び、ニッポン放送内での任天堂DS「大合奏!バンドブラザーズDX」事務局の運営、事務局長業務を兼務。


2013年10月 準備をつづけていた任天堂DS「大合奏!バンドブラザーズDX」の後継ソフト任天堂3DS「大合奏!バンドブラザーズP」の発売日が2013年11月14日発売と発表される。


2013年11月14日 任天堂3DS「大合奏バンドブラザーズP」発売。

引き続きニッポン放送内で任天堂3DS「大合奏!バンドブラザーズP」事務局の運営、事務局長業務を兼務。


2015年12月 以前より考えていた札幌移住への思いを現実化するべく計画。 


2016年1月31日 8年間続けた任天堂「大合奏!バンドブラザーズ」シリーズの事務局の運営、事務局長業務を退任。


2016年4月20日 東京を離れ、36年間離れていた札幌に移住。


2016年4月20日 株式会社イスト・プロデュース・アンド・コーディネート札幌移転。


2016年8月31日 株式会社イスト・プロデュース・アンド・コーディネート解散。


2016年9月1日 札幌移住とともに生活を一新、エンタテインメント業界での活動を終了。


2017年1月 札幌市内の某所にて今までに全く経験のない職種の業務に従事。


2019年10月 8月に札幌での最初の仕事場を退職して、その後はほぼ隠居生活。

 

笹木 雅司(ささき まさし、ササキ マサシ、Masashi Sasaki) profile